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暑い
暑い
暑い

この言葉しか出てこない
アツイ

どうにか風が通り抜けてくれるので
我が家は冷房を使わないで過ごせています。

しかし、電車や仕事場は冷房なしではない。
効きすぎてサブイ。。。

汗をかいて電車に飛び乗ったならば
気持ち良いのですが、時間が経つにつれて
寒い。

正直、ここまで冷やさなくても
いいのでは?って思います。
弱冷に乗ったらば満員電車
だと蒸し暑くて気分が悪くなる・・・

誰か窓を開けて・・・・
って叫びたくても
最近は窓がFIXされている車両もあり
どうにもならない。

この感覚は異常です。

身体に優しくない社会だ!!!!!って
暑さを爆発させるために発狂したくなります。


高齢者の足は冷えて浮腫んでおり
膝痛や腰痛三昧。
本来はこの時期が身体が緩み
血流がよくなり関節が動かしやすく
慢性化しているコリがほぐしやすい
はずなのですが、冷気が足元を
冷やしてしまうので季節に対応した
身体になっていない。

足首に手を当てたとたんに
がっかりしてしまうのです。

電車に乗る時や冷房三昧の部屋で過ごすときには
足首〜ふくらはぎは冷やさないように
ご自愛ください。

この結果の症状は、秋に現れます。


声明デビュー

2014年07月21日
昨日は、お世話になっている整体の先生の
ご家族の法事で声明を唱える事になりました。

「声明」はお経に楽譜を付けたような・・・
解りやすく言うならば「音楽バージョン」

今回の法事を取り仕切る阿闍梨様に我が治療院
の阿弥陀様の供養をしていただきながら法事の
予行練習!?
声明のチェックをしていただきました。

法事の当日に自分の読み癖を指導されても
なかなか修正出来ないものです。

耳の記憶
自分の声
先生の指導

数回繰り返して一瞬出来ても会場に向かう間に
別の事に意識が向いて指導していただいたことを
忘れてしまいました。
おまけに唱えながら指導していただいた所で
自分が出来ていたのか?
声を発生してしまった後で戻れない流れに反省してみたり。

セミナーとは違い、ノートにあれこれ記録できない
事もお経の勉強の特徴かもしれません。
いかに集中して頭に留めるか!
悲しい気分半分、これも訓練だとポジティブに思いながら
楽しむ自分がいます。

今回は3名の僧侶と参列者全員が阿闍梨様の伝授により
一緒に読経して供養する場になりました。

このような法事はありませんので、貴重な体験となりました。

仏様も喜ばれていることと思います。

法事が無事に終わり、僧侶のお一人を送迎する車中の会話で・・・
(お経の音頭取りのことを「経頭」という)

声明の経頭は僧侶でも嫌がり出来ないことを
教えていただきました。
今回の法事は声明が法事を始める合図となったので
私はかなり重要な仕事を任され、これまた貴重な体験を
させていただけました。

ご縁、ご利益を頂け嬉しく幸せな一日となりました。

祈り

2014年07月14日
昨日は、友人から頂いたパンフに興味を持ち
山梨まで祝詞を聴きに行きました。

五行の響き
太古の楽器と祝詞の初コラボ!

それは・それは・とても素敵でした。

てっきり小さなミニホールみたいなところで
行うのかと思っていたのですが、「おみち」
と呼ばれる江戸時代には京都御所にあった
「祝殿」が道場の役割を担ってきました。
その道場を現代建築として甦らせた建物
の中で行いました。

平屋の日本建築にマッチした落ち着いた門を
潜り、和室で行うのかと足を運ぼうと・・・

目の前にある榊の木で囲われた生垣の
中に何とも不思議な建物がありました。

榊の木の内側をステンレスの鏡面の棒が
建物を飾りまた、建物の外壁も鏡のように
反射しているのです。

建物は平屋で64平米くらいでしょうか。
中央には床にガラスが張られて石と砂で中州を
表現(日本庭園の石の模様)があり
天井は、トップライト。

もちろん祝殿ですから神様が祀られて
おり、パワースポット!!!!です。

この場所に
この建物が
隠されているぅ====

決して高い塀に囲まれた建物ではありません。
ある場所からは、屋根や鏡のような外壁が見えるの
ですが、違和感がない。
目の錯覚を起こして建物を消しているようにも
見えます。

さて、コンサートが始まる直前は
出演者でない私が緊張してしまい
震えてしまいそうでした。

コンサートが始まり楽器の音に
耳を澄ませながら、呼吸法に
これまた目を奪われました。

音を取切ることなく鼻から息を
吸って口から楽器を吹き続ける。
たまたま前日に見たテレビでヨガの
瞑想で行う呼吸と一緒の様でした。
この集中力は凄い。

演奏の中に般若心経がありましたが、
楽器の音に言葉が加わり何とも
摩訶不思議な演奏

聴いているうちに何と・・・
涙がポロポロ止まらなくなってしまい
私は不思議ちゃん系の人?

前日は整体教室に参加して、合唱ギョウキ?の
時も涙がポロリ。
先生にお話ししたところ、
「涙が流れるように気が流れたら最高。
なかなかそこまで行けない人が多いんです。」
大山さんの今向いて進んでいる道に
そのまま進めばいいことなんですよ。」

ありがたいお言葉でした。

そして今日。
数か月に1回気が向いた時に行く場所に
月曜日は初めて足を運ぶことが出来ました。

そこでもまた不思議なことに
「そのまま進みなさい。」と会話に
お言葉が・・・

デジャヴー???

こんなことが起きるのですね

名前の力

2014年07月09日
最近、名前について接する機会が多いのです。

小学生の時に宿題で自分の名前の由来を
調べてくる!というものがありました。

私の名前は誰がつけたのか?
どんな思いが込められているのか?
と親に聞きました。

母親は、「マナミ」とつけたかった
と言ってました。
がっ・・・
父が「次女で生まれて順番だから順子」
と名付けたそうです。

正直、私への期待って無かったのだと
ショックを受けた記憶があります。


さて、ここ最近は法事が続いて戒名に目が留まる
機会がありました。
戒名には俗名が入りますが、葬儀の時に僧侶の方が
戒名の説明をしてくださったのを思い出します。

残念ながら、月日が経てば内容を忘れてしまい
位牌を見ながらルーツを探ってみたりしてます。

先日、戒名についてこんな出来事がありました。

戒名を付けた僧侶ではなく別の僧侶から
「生前のお父様は戒名のような方でしたか?
ご家族の方は、気に入ってますか?」
と質問を受けたそうです。

施主さんは、そのような質問がされるとは
思ってもいなく
「????=どういう意味だろう?」
思いながらも、僧侶から頂いていた戒名の説明文を
その僧侶に見せたようです。

戒名を変更?
そんなことあるの?
ドキドキ・ハラハラしながら特に何もなく時は過ぎました。


後日、私も説明文を読ませていただきました。

一字、一字に思いが込められて構成されていると
思いながら「戒名って生前のイメージも組み入れる
ものなのかしら?となると名前を付けるって難しい」
と感じました。


同級生が最近開業し治療院の名前では
パパの仇名で親しまれていた友人は「タンポポ」
ママの仇名で親しまれていた友人は「ひまわり」

タンポポは半年前に開業していましたが、最近開業した
ママがひまわりとは、何となく決めたという割に
二人が黄色いお花の名前、こんな形でつながるとは
思っていませんでした。
しかし、各々が持つイメージにぴったり!
のどかで、ほんわか、仇名のごとく暖かく包んでくれる
感じがします。


そんな中今日は、僧侶の勉強中である友人からの
メールの署名が変わっておりびっくりしました。
とても素敵な名前であり由来を尋ねたところ
おじいさまが息子(彼女のお父様)に得度名を
授けていたそうです。
しかし、お父様は僧侶になる道を外れてしまいました。

彼女も特に仏の道に入ることは考えていなかった
様ですがお父様が他界し何となく入門を決心。
そしてこのたび、彼女がお父様の得度名を引き継ぐことに
なったとのこと。

私の治療院も願いを込めて名付けました。
ふさわしい場所となるように、日々心を磨き勉強
に努めなければ!!!
耀

涙の訳

2014年07月06日
彼女は狭心症と5つの癌を発症していた。
その他にも

会話するととても明るく、声も腹に力が
入っている感じ。

「歌を習っていましたか?」と質問してみた。
カラオケが好きで昔は詩吟を習っていたと。

歌を通じて溜まっていたエネルギーを発散して
いたのだと感じました。

がんを患った方は、私の家族を含め友人、知人
と周りを見ても身近な病気で沢山増えてきました。
「マジメ」な人がなる病?
ホントに硬い岩が出来る。
頑固たる信念を持つ人がなる病であり、
人格そのものだと言っている人がいますが、私もそのよう
に感じています。

じっと何かを我慢している。
核心の弱音は吐かない。
気持ちすら動かない。

彼女の足をほぐしながら
彼女の心に問いかけてみた。

しばらくして手を止めて見上げたら
彼女は、大きな涙をぽろぽろと流していた。

「自分の辛さを素直に話せたら楽なのに・・・
解っていても話せないのよね。
あなたと話してよくわかったわ。」

止まらない涙をそのまま流していただいた。

自分の身体から呼吸・涙・声・汗・鼻水を通じて発散。
忙しさにかまけて心にブレーキをかけてたり、
パンドラの箱に鍵を掛けたままにして発散することを
忘れてしまうときがある。

発散したい心のエネルギーを素直に身を任せ動かして
生きれたら楽なのに・・・
考えすぎて相手を思い、実は自分が複雑にしてしまっている。

仲間

2014年07月01日
先月は、悲しい出来事が沢山あり
自分でも何をして過ごしたのか?

前日の食事の内容も忘れるくらいだから
長期も短期も記憶力は怪しいです。


昨日は、初めて社会人として就職した会社である
昔の仕事仲間と逢いました。
私が退職してから十数年になります。
気が向いたときに数年に1回忘年会・新年会があり
OB・OGの20名位で集まったり、
もしくは数人で年に1回逢ったりしてました。


男性ばかりの設計室で女性の採用は初めて
ということもありチヤホヤはされませんでしたが、
大切に教育していただきました。

あの頃はまだ手書きの図面が主流でしたが、
会社にCADを導入するにあたりDRA-CADスクールに
同僚と通わせていただきました。
今では、Auto-CADになってしまいました。


そうそう、夜の8時以降になるとガソリンタイム!
夏場のお中元の時期になると会社にビールが
届き補給しながら仕事をしていました。
あの頃は、ガソリンはそれほど
好きではなかったなぁ。

ビルの管理上、夜8時になると冷房が止まってしまうので
体がべとべとになりながら残業したのを思い出しました。

仲間と一緒に帰宅する道で話したのは、
退職ししたのにこんなに仲の良い仕事仲間はいない!
退職してから独立した人は、仕事のつながりが
あるようですし、私は業種が変わりましたが、
連絡は頂けてますからありがたいです。

会話しながら思ったことは、お互いの思いを
ストレートにぶつけてもいい関係。
これは、モノづくりをする仲間だからかも
しれません。
気を使って言いたいことを言わない業界
とは違うので嫌味があっても後味が悪く
なるような言い方はしない。
この会社で出会った仲間はそんな集団だった
ようです。

最近は、思っていても相手との関わりが
浅い為に言いたいことは言わない。
伝えたつもりが、正しく伝わっていない。
心の読み間違えをしてしまう。

何度も逢ってコミュニケーションが取れているのであれば
言わんとしている内容が正しく読める。

久しぶりにこんな気持ちと触れる事が出来た。