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昨日、特に予定を組んでいない
休日を過ごすことになりました。


折角なので数か月ぶりの現場に
足を運んでみました。


職員の皆さんは、交代で食事休憩。

私を見るなり軽いご挨拶
(あぁ===新しい職員さん!くらいで
捉えていた人が多かったみたい。)

実は、見ているようで目に入っていない

「ご無沙汰しております・・・」

の言葉で誰なのか認識して
身体が(うぉ==って)反応しておりました。


我ながら面白い光景でした。


畳の部屋で同じ目線で休憩、会話をすること

椅子とは違うなって思いました。

同じ空間の共有している意識が違うのかも知れません。


先日も数年ぶりの瞑想会に参加しました。

瞑想会で昼食時間となり前後にテーブルを用いて
幾つかの島をつくりました。

会話は基本しませんので各々無言で食事を
済ませます。
しかし・・・
場に対する一体感があるのです。

誰なのか知らない者同士の集まり
時間を共有しているだけの関係。
なのに安心感が生まれる。


ところで机と畳が混合している休憩室では、
目線が違い同じ空間でも何となく
別空間が生じるのです。

私の心の問題?

多分・・・

日本人の中にある本能が違和感を
生んでいるのでしょうが、そのことに
気が付かないまま部屋を使用している。

仲が悪い訳ではないが、組織としての
一体感を強めるには・・・
畳の上で食事をすることの方がよいのかも。