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14日、高野山から帰宅しました。
今回は、宿坊ではなく難波のホテルに宿泊。
なんば→高野山を往復したのでケーブルカーや電車
では乗り物酔いするなど体力をかなり消耗しました。

高野山の桜は、葉桜になりかけていましたが、
観光するにはもう少し桜は楽しめそうです。

何をしに高野山まで・・・

チベット密教の灌頂です。
今回で2回目になります。
2011年の前回は、金剛界曼荼羅
今回は、胎蔵曼荼羅
です。
??まんだら???となりますが、ごめんなさい。 
私が説明できません。

う====ん
沢山の仏様とご縁を結ぶ儀式です。

高野山に登ること自体ご縁がないと登れない場所
のようです。
【山に呼ばれて登れる】という言い方をされてます。

ああだ、こうだ。とお金・時間・体力・仕事など
悩むというより躊躇しながらチケットを準備した
時には登れませんでした。
私の場合、東上線の電車が乗車直前事に故を起こしたことで
身動きが取れずすべてキャンセルした体験もしました。
この時は、那智の滝も台風で被害が生じたりと
行かなくてよかったようでもあります。


さて、灌頂はダライ・ラマ法皇によるものです。
勿論、通訳を介しながらお経のお話であり「心」について
お話をされ、日頃の自分に反省しなければならない事ばか
りです。


私たちは、よいお話を聞いては日頃の生活を見直し
その場は反省をします。
食事に気を配り、周りに気を配り、自分の行いに
気を配ります。
しかし、月日が流れ習慣化された生活に元に戻り、
また同じような過ちを犯します。
何度も繰り返すわけです。
本を読んだりお経を唱えたり、瞑想するだけでは
リセットできません。
これは、リセットしたつもりになり自分の
考え方の癖に気が付かないからだと私は思うのです。



だからこそ、場に足を運ぶのです。

講習会に参加することの意義は、同じような
志を持っている人の輪の中で何を感じ学ぶか?
他者の質問は、自分が想像しないようなことが出ます。
雑談することは、個人の悩みでもあり共感できるものが
多分にあります。

何よりも前回同様に感嘆したこと
それは、ダライ・ラマ法皇は
通訳を介している時にもお経を唱えている事です。

自分自身の行いや考えを見直している
そうですが、志を真似しなくては・・・

慌ただしいスケジュールでも、
ほんの少し、心のお掃除と栄養補給が
出来ました。



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